2021-06-14 第204回国会 参議院 内閣委員会 第27号
また、そこには青年部、未来部が編集した都道府県ごとの戦争体験の証言集も置いてあり、戦争体験のつらさや悲惨さとともに、軍が住民をスパイ扱いした事実なども語られていました。資料館では、中国や韓国を始め各国との交流も展示してあり、外国の人々について、友と記されてありました。平和の文化の構築に向けた取組や戦争証言集の刊行など、私は大変深い感銘を受けました。
また、そこには青年部、未来部が編集した都道府県ごとの戦争体験の証言集も置いてあり、戦争体験のつらさや悲惨さとともに、軍が住民をスパイ扱いした事実なども語られていました。資料館では、中国や韓国を始め各国との交流も展示してあり、外国の人々について、友と記されてありました。平和の文化の構築に向けた取組や戦争証言集の刊行など、私は大変深い感銘を受けました。
○福島みずほ君 長崎市が集めた証言集「聞いて下さい!私たちの心のいたで」にも原子雲が未指定区域を覆っていた事実が報告をされています。また、被爆体験者の中には被爆者と同様の症状が出ている人もいます。このような人々を被爆者として認定し、救済すべきではないか。 というのは、七十年前は確かに内部被曝や降り注いだ灰や黒い雨が問題だというのはなかったんですよ。
○辻元委員 次に、この河野談話は、今問題に、いろいろ言われております十六人の元慰安婦の聞き取り調査が根拠になったのではなく、官房長官、よく聞いてくださいね、関係省庁における関連文書、米国国立公文書館の文書や、それから軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査、それから証言集の分析などで出た結果であって、十六人の元慰安婦の聞き取りが根拠になったものではないということでよろしいですか。
しかし、当時、書いた資料、書き物としての資料だけではなくて、各種証言集とか証言とか、それから韓国にも出向いて証言を聴取し、総合的に判断をしたと答弁されておる。 今もこの御認識でよろしいですか。
そのときの政府において、各種証言集における記述、それから韓国における聞き取り調査を含めて総合的に判断された結果、甘言、強圧による等、本人の意思に反して集められたケースもあったという心証を得て、同談話にある記述ぶりとなったと、このように指摘されています。 ということで、引き続き、今、その談話を今覆すものではないということでの引継ぎ、継承をしております。
その一方で、強制的な連行があったとする証言集等も既に存在をしていたところであり、当時の政府において、各種証言集における記述、韓国における聞き取り調査を含め、総合的に判断した結果、甘言、強圧による等、本人の意思に反して集められたケースもあったという心証を得て、同談話にある記述ぶりとなったということであります。 今、官房長官からもお話がありましたけれども、これを今踏襲しているわけです。
各種機関が持つ映像をはじめ様々な資料や証言集等を活用し、ホームページやその他ツールを用いて、津波に関する啓発の充実強化や減災教育のための教材を作成。」と。 今大臣が言っていただいたことがここに入っているんだと思うんですが、これは、学校教育のところとその他に別々に分けて書く話なのかな、こういうことをやるから縦割りになってしまって、それぞれの機関が機能しないんじゃないか。
これはさっきも言いましたように、証言集の方ですから認定事実ではありませんけれども、どうもこの証言から総合的に分析いたしますと、教職員組合に対して内示の前に内々示を行って、かつ人事について調整を行っておるんじゃないかと、そういうことが読み取れるわけであります。もしこれが事実であれば、こういうことは許されるんですか許されないんですか、文部省にお願いします。
全日本年金者組合がまとめた証言集などを見ると、本当に少ない年金で、必死で税金や介護保険料を払って暮らしをつないでいる高齢者の姿がつづられています。例えば、八十八歳の女性。月八万円余りの年金で四千円の介護保険料、四つの病院に通っている、年齢相応なわけですね。介護保険の改悪で介護二から要支援となって、負担はふえるわ、利用は制限されるわ。
私がさっき紹介した証言集なんか、みんなそうですよ。四万、五万の年金でも無理して払っているんです。そういうところにあぐらをかいてと言っては失礼ですけれども、天引きで本当にいいのかということを言っているんです。実態に合わせるべきだということを重ねて指摘します。 それで、今、もう一方の話ですが、年金収入が十八万以下の方あるいは無年金の方は普通徴収、切符による納付になるわけですね。
この十六人を含む二十六人の元慰安婦の四種類の証言集がある。二十六人のうち強制連行されたと証言したのは八名。このうち二名は証言集による証言に食い違いがあり、その証言は信用できないとされた。また四人は、韓国人研究グループすら、話の前後のつじつまが合わず、調査が難しいと判断。残り二名は、慰安婦にされたのが戦地ではなく、遊郭で働いたものというふうに憶測されている。
○塩崎国務大臣 記述がなかったというのは先ほど申し上げたとおりでありますけれども、当時は、書いた資料、書き物としての資料だけではなくて、各種証言集とか証言とか、それから韓国にも出向いて証言を聴取していたわけでございまして、そういうところで総合的に判断をして、いわゆるこの談話にある、甘言、強圧による等、本人の意思に反して集められたケースもあったという心証を得た次第、こういうことだと思いますので、安倍総理
○石井(郁)委員 この教育基本法の作成者たちがどのようにして立法したかということについては、いろいろ後にも証言集等が出されておりますよね。今、新聞でお名前を御紹介した日高第四郎さんですけれども、このように述べていらっしゃるわけです。 この教育刷新委員会そのものには明白な自主性が認められている。アメリカのオブザーバーも、その代理としての日本人のオブザーバーも入っていない。委員は全く自由に討議した。
この証言集を私、ここに持っておりますが、この中でブレア太平洋軍司令官は何と言っているかというと、過去数年間、日米は同盟関係強化のための着実な進展を持った、日米は九七年の日米ガイドラインに基づく最初の二国間防衛計画に署名した、こう証言しております。 一体、相互計画はもう既に署名されているんじゃないですか。
私は、証言集の中でもっと幾つものたくさんの証言を読みまして、本当に大きな衝撃を受けております。 こうした問題というのは、社会性を抹殺した強制隔離政策とともに、元患者の方々の本当に愛と命をはぐくむ家庭をつくって生きるという幸せなその権利を奪ったと思います。まさに断罪されなければならない人権侵害のいわば中心的な問題だということを私は申し上げたいんです。
その後、長崎市が提出した証言集など新しい資料に基づいて、厚生労働省の研究班による大がかりな現地調査が行われたと聞いております。調査の結果はどうなっているのか、いつごろ地域指定拡大問題の結論が出る見通しか。 以上で質問を終わります。
この証言集の中には非常に生々しいものがございます。閃光を浴び、皮膚がはげ落ちた、爆風で吹き飛ばされた、死んだ方を海岸で焼いたなどなど、被爆時の状況が記されておるのでございます。 そこで、今回大臣にお伺いしたいのは、この証言調査報告書の印象並びに今申し上げましたことについての御認識をこの際お伺いをしておきたいと思います。
○田浦直君 今、大臣から話がございましたように、心のケアという問題を今回は取り上げて、八十五名の方からの証言集というものをまとめて、厚生省にも提出をさせていただいたということでございますけれども、実はその証言集の裏には三百十二人の方々の証言がございます。
うち三百十二人については専門の精神相談員等、専門の人の面接調査をして、それでこの証言集ができているんですね。これを大臣も多分全部ではなくてもお読みになったと思いますが、私も読みましたが、非常にショッキングなことが書いてあるんです。 「どこの屋根も塵灰が降りつもり、茶褐色に染まって」いたとか、「黒煙が私達の上空を覆った時間はかなり長い間と記憶しています。」
○津島国務大臣 重ねて御答弁をいたしますけれども、松谷判決そのものについては真剣に受けとめて対応をいたしているところでございますが、後の地域指定等の問題は、従来の方針にのっとって、そして新しい証言集を精査しておるという状況でございます。
今回、長崎市では、被爆者の平均年齢が七十歳を超え、もうこれ以上待てないということでこの証言集を持って市長を先頭に上京し、全市議会議員が超党派で厚生省、各政党、衆参全議員などに訴え、東京でこの問題についてのシンポジウムも開催をいたしました。共産党では不破委員長が直接訴えを聞き、シンポジウムには、ここにおります瀬古議員が党代表として参加をいたしました。
私たちの心のいたで」という証言集にまとめました。大臣、これがその証言集です。平均年齢が七十歳を超えている被爆者たちから具体的記述を求めるアンケートで、八〇%以上の回収ができたという。これだけでも関心の高さがわかると思います。 大臣にお尋ねしますが、長崎市の話では、大臣が不在だったので秘書官にこの証言集を預けてきたと言うんですが、大臣、その後見ていただいておりますか。
第二点目は、その他のいろいろな調査、この中には、おっしゃったような韓国における元慰安婦からの証言の聴取もありますし、各種の証言集における記述もありますし、また日本の当時の関係者からの証言もございますが、そういうものをあわせまして総合的に判断した結果は一定の強制性が認められた、こういう心証に基づいて官房長官談話が作成されたと、こういうことでございます。
このことを端的に示している言葉として私が紹介申し上げたいのは、もしかすると先生方は既に御存じかもしれませんが、沖縄南部の方に平和祈念資料館という資料館がありまして、そこに沖縄戦のときのさまざまな物的な資料や体験をされた方々の証言集などが展示されています。その最後の結びの言葉にこういうふうにあります。